債務者主義と債権者主義(つまり危険負担の話)

債務者主義と債権者主義(つまり危険負担の話)

いつも「債務者主義」と「債権者主義」がこんがらがってしまう私です。なぜだ!理由はとても単純でした。
「債権者主義」と「債務者主義」の意味がわからずに暗記しようとしていたせいです。
ここで整理します。
以下は引用です。

債権者主義は、債権者に泣いてもらう主義のことです。
債務者主義は、債務者に泣いてもらう主義のことです。
(早稲田経営出版 「山本浩司のオートマシステム 民法I」から一部抜粋)

つまり、泣く(=支払う)方の名称をつけている。
そして、この時の「債権者」「債務者」とは、「物」に対する債権者(買主)と「物」に対する債務者(売主)を指しています。
売買は双務契約なので、矢印は両面に向いています。
物に対する債権債務と、支払いに対する債権債務が存在し、どちらの側も債務者であり債権者であるので、ややこしくなります。
債権債務と口にする時は、「何に対する」債権・債務であるかを意識します。
危険負担の話をする時の主役は「物」です。物を引き渡すべき売主が「債務者」になります。

危険負担の定義をおさらいします。
危険負担とは、売主(この場合物を引き渡す債務を負っている)にも買主にも責任がなく、その債務の履行ができなくなったなった(履行不能)になった場合に、その責任を契約当事者のどちらが負担するのか、という話です。(どちらから責任があったら、そもそも危険負担の話ではありません)

民法は、原則として『債務者主義』をとります。売主はお金を払ってもらえません。ただし、その例外があります(534条)。「特定物に関する物件の設定・移転」については、債権者主義です。買主がお金を払います。特定物の代表は「不動産」ですが、そもそも契約の多くは、「特定物」に関することが多いのではないでしょうか。
ただし、実務では、契約時に債権者主義を排除する特約をつけるのが通例です。ああ、わかりにくい。一般的な実務世界の慣例と法律が異なっている場合は、日常イメージで考えると失敗しますな。