JR上野駅で電車を降りて、気がつくとエスカレーターのところでワーグナーのマイスタージンガーを口ずさんでいました。なぜ突然、もしかして今の発車メロディは?と思って慌てて調べると、期間限定でJR上野駅の発車メロディがワーグナーのニュルンベルクのマイスタージンガーになっていました。来年の2020オペラ夏の祭典(上野公演の東京文化会館にて2020年ニュルンベルクのマイスタージンガー上演)に因んでということか。

マイスタージンガー(Die Meistersinger von Nürnberg)。何百回聴いても同じところで同じように感動してしまう。そこにはワーグナーの壮大な、心を揺さぶる仕掛けがあり、私は何度でもその同じ仕掛けにかかってしまうわけです。

音楽に関わらず、あらゆる作品には感動する理由があり、それは制作者たちの苦悩と思慮によって仕掛けられた甘い罠で、わたしたちは喜んでそれに引っかかる。そこにある仕掛けのことを、わたしたちは全て忘れてその作品に没頭することができる。その幸福な瞬間を求めて、わたしたちは音楽を聴き、絵画を眺め、スクリーンに向かい、文字を読む。

作品とはそういうものだと思っているので、たとえ素人であろうと作品と呼ばれるものを手掛ける以上は、「魅せる」ことを考えたいのが心情です。(魅せる、とは必ずしも美しくて安全なことではないのです。悪魔に惹かれることもあるように)

以上、実はこういった内容を某公開講座の篆書作品制作の最後に喋るつもりもあったのですが、実際に出来上がった作品を自分で見て、意図したことがちっともわかんないじゃん!と感じて、一切封印してしまいました。偉そうなことを言えないなあ。くすん、って感じ。

仕事の時によくありますが、夢中で作業しているときには気が付かない細部あるいはミスに、ぼんやりと眺めている時に気づくことが実に多い。この「ぼんやり」が私の場合意外に重要で、「チェック」とか「推敲」とか「校正」しようとすると、義務になっていて効果がない。制作者である自分を離れて、一ユーザーにうっかりなってしまっているときだけなのです。それに気がついてからは、何事も仕上げてからぼんやりできる時間があるように、少し仕事を前倒すようにしています。

これが作品にも大いに言えていて、書いたものをじっと眺めている。すると「ちょっと俺、カッコ悪いから直してくんないかな」とか「俺の位置へんじゃねえ?」とか文字が言ってくる。わたしにとって、文字たちは生きているキャラクターに近い。(あるいはJoan Miroの絵)文字にそう言われたら仕方ない。直してやるかなあという気分になる。これは金文ならではですね、きっと。楷書は強面だから、気軽に話しかけてきれくれないし。

講座では、詩文を自分で選び、選んだ文字を辞書で調べてから先生に確認してもらい(文字の間違いなど)、手本を書いていただいてスタートします。手本をかいていただいた回の後に、自分の書いたものを見てもらう機会が2度あります。1度目は、手本の臨書のようなものを書いて「文字の密度が足りない」と言われました。2度目の添削日の前に、手本を見ながら書いていて、ふと「臨書」ではなく「作品」なのに、何故手本を臨書しているのだろうか?と疑問になりまして。

そこで思い切って手本から離れることにしました。図書館から本を借りてきて片っ端から「作品」のコピーをとり、自分でやれそうなイメージのものを選んで、コンセプトを真似てみることにしました。私としてはメリハリのあるものをやりたかったので、細い線を使っている作品をいくつかピックアップ。ただ、どこに山場を持ってくるのかを決めるのが難しく、まずは単純に、横線を太く、縦線を細く書くというルールだけで書いてみました。講座の先生は辛口な方なので、これを持っていくべきか否か悩みましたが、何が許されることなのか知りたいという意味もあって極端に太い線と細い線が交差する作品を添削日に持っていきました。

その奇妙な1枚は駄目だとは言われず、ただ2倍以上の線を使うと馴染みにくいこと、中間の線がないと言われました。家に帰って、ピックアップしたコピーをじっと眺めてみると、なるほど太い線と最も細い線は交差しないように巧みに使われていますし、線種が私よりもずっと豊富です。(当たり前ですが・・)そこで線種をもっと増やすことを目指しました。

が、筆を持って半年もたたないので、当然思ったようにはいかない。書いている途中で即興アレンジするようなことは今はとても無理だと判断。悩んだ挙げ句、スケッチというかデッサンというか、設計図を作ってから書くことにしました。心がけたのは、1つの文字の中に一箇所は山を作る、その上で全体の山を作ること。といってもそこまでうまく出来ていないんですが。そして少しルールを増やすことにしました。数字は線の基本の太さです。一番細い先を1として1〜4まで。細い線が多いと弱くなりすぎるので、1は最も効果的な部分にのみ使うこと。1と3以上の線を交差させると馴染みにくいので、1と3以上の交差は避けるか、太い方の線の接点または交差点を細くするか、1の線を太くするかして自然な流れを作ること。

それでも頭の中で描いていたイメージとはかけ離れていますし、自分の小部屋から出て、教室に貼って眺めるといかにもまだまだ弱くて、やりたかったことが見えてこない。という絶望的な気分にもなりましたが、まあこれが今出来ることなんだろうな。